2008年05月18日
言葉が見つからない
大好きで尊敬してきた先生が
「もう辞めることにした。」
と昨日の夜,力なくわたしに伝えた。
学級もうまくいっているし
みんなから好かれて信頼される
そういう先生だ。
でも疲れたという。
土日にゆっくり寝てみたいという。
だんなさんにご飯を作りたいという。
子どもの話を聞いてやりたいという。
もう休みたいと。
48歳で退職するのかぁ。
言葉が見つからない。
このことを夫に言うと
夫が「俺も退職しようかな,と思うときがある。」
と本音とも冗談とも言えない顔で話し始めた。
中学校に勤めているので,
部活で土日祝日も夏休みも冬休みも
朝5時半には出勤する。
ゴールデンウィークも一日もなかったし
平日も19時までは部活でそれから残務処理を始める。
わたしもそうだけれど
だいたい家に着くのが夜中で
夕食も食べずにソファーで眠る。
こういう日々があと12年続いたら
わたしも48歳になる。
疲れやすくもなるだろうし,
ホルモンのバランスが崩れたりして
更年期の症状なんかが出たりし始めたら
辞めたくなるのかもしれない。
どの仕事にも言えることだけれど
基本的な生活(食事や睡眠や適度な休養)は
やっぱり必要不可欠なことで
これが著しく侵されている職場には疑問を感じる。
今日もわたしは11時から20時まで学校に行って仕事をしていた。
夫は5時半に家を出て苫小牧まで試合に行き,
17時すぎに帰ってきたという。
自分の仕事の仕方に問題があるようにも思えるし
学校現場がぐちゃぐちゃになってきている気もする。
精神疾患をかかえる教員が急増しているのも事実で
若いうちに辞めていく先生も多い。
なんとかならないものかと思う。
「もう辞めることにした。」
と昨日の夜,力なくわたしに伝えた。
学級もうまくいっているし
みんなから好かれて信頼される
そういう先生だ。
でも疲れたという。
土日にゆっくり寝てみたいという。
だんなさんにご飯を作りたいという。
子どもの話を聞いてやりたいという。
もう休みたいと。
48歳で退職するのかぁ。
言葉が見つからない。
このことを夫に言うと
夫が「俺も退職しようかな,と思うときがある。」
と本音とも冗談とも言えない顔で話し始めた。
中学校に勤めているので,
部活で土日祝日も夏休みも冬休みも
朝5時半には出勤する。
ゴールデンウィークも一日もなかったし
平日も19時までは部活でそれから残務処理を始める。
わたしもそうだけれど
だいたい家に着くのが夜中で
夕食も食べずにソファーで眠る。
こういう日々があと12年続いたら
わたしも48歳になる。
疲れやすくもなるだろうし,
ホルモンのバランスが崩れたりして
更年期の症状なんかが出たりし始めたら
辞めたくなるのかもしれない。
どの仕事にも言えることだけれど
基本的な生活(食事や睡眠や適度な休養)は
やっぱり必要不可欠なことで
これが著しく侵されている職場には疑問を感じる。
今日もわたしは11時から20時まで学校に行って仕事をしていた。
夫は5時半に家を出て苫小牧まで試合に行き,
17時すぎに帰ってきたという。
自分の仕事の仕方に問題があるようにも思えるし
学校現場がぐちゃぐちゃになってきている気もする。
精神疾患をかかえる教員が急増しているのも事実で
若いうちに辞めていく先生も多い。
なんとかならないものかと思う。
2008年05月10日
学級便りの出し方
昨日おもしろいことがあった。
毎日学級便りを出すわたしに向かって
ある女の子がこう言ったことがきっかけだった。
「先生うちのお母さんね
この先生,毎日学級便りだすから
読むの面倒くさいって言ってたよ。
ずっと出すのかなって。」
わたしは思わず笑ってしまった。
そのお母さんはとてもフレンドリーで
なんとなくその言葉を言っている様子が目に浮かんだからだ。
こうやって文字で書くと「ひどいお母さん」と思われるかもしれないが,そんなことはない。(はず)
きっと仕事で疲れて帰ってきたばかりなのに,その子が「お母さんおたより!」と言って毎日出すものだから,「んもーめんどくさいわ。」なんて笑いながら言ったんだろうと思う。
他の子が言った。
「え?うちのお母さん働き者だねって言ったよ。」
「うちのお母さんは楽しみだから見せて。っていつも言うよ。」
「うちのお母さんも,ちゃんと毎日ファイルにはさんでとっておいてる。」
「うちのお母さんは大事なとこだけ読んでって言うよ。持ち物のとことか。」
わたしはいろいろだなーと思っておかしかったし,
なによりもお家での会話をあけすけに私に伝える子ども達を見て
かわいいなー,まだまだ子どもだ。と思った。
学級便りって先生によって全然違っていいと思うんだけど,
わたしはなにを言われても出し続けようと思う。
趣味の一つみたいなものだから(笑)
読む読まないは残念ながら親御さんの判断にゆだねるしかない。
でも,自分のことが載せられている学級便りを手にした子どもは
本当に嬉しそうにそれをたたんで持って帰る。
そういうときはやっぱり
この子のお母さんがそれをちゃんと読んで
「あら!すごいね。嬉しいわ。」
と言ってくれればいいなと思ってしまうけれど。
毎日学級便りを出すわたしに向かって
ある女の子がこう言ったことがきっかけだった。
「先生うちのお母さんね
この先生,毎日学級便りだすから
読むの面倒くさいって言ってたよ。
ずっと出すのかなって。」
わたしは思わず笑ってしまった。
そのお母さんはとてもフレンドリーで
なんとなくその言葉を言っている様子が目に浮かんだからだ。
こうやって文字で書くと「ひどいお母さん」と思われるかもしれないが,そんなことはない。(はず)
きっと仕事で疲れて帰ってきたばかりなのに,その子が「お母さんおたより!」と言って毎日出すものだから,「んもーめんどくさいわ。」なんて笑いながら言ったんだろうと思う。
他の子が言った。
「え?うちのお母さん働き者だねって言ったよ。」
「うちのお母さんは楽しみだから見せて。っていつも言うよ。」
「うちのお母さんも,ちゃんと毎日ファイルにはさんでとっておいてる。」
「うちのお母さんは大事なとこだけ読んでって言うよ。持ち物のとことか。」
わたしはいろいろだなーと思っておかしかったし,
なによりもお家での会話をあけすけに私に伝える子ども達を見て
かわいいなー,まだまだ子どもだ。と思った。
学級便りって先生によって全然違っていいと思うんだけど,
わたしはなにを言われても出し続けようと思う。
趣味の一つみたいなものだから(笑)
読む読まないは残念ながら親御さんの判断にゆだねるしかない。
でも,自分のことが載せられている学級便りを手にした子どもは
本当に嬉しそうにそれをたたんで持って帰る。
そういうときはやっぱり
この子のお母さんがそれをちゃんと読んで
「あら!すごいね。嬉しいわ。」
と言ってくれればいいなと思ってしまうけれど。
2008年05月06日
学級崩壊の中にいた子ども達
五年生の担任になって1ヶ月。
本当に大変だった。
四年生のころによくテレビでやっているような
学級崩壊をおこしていたクラスだったからだ。
五年生になってクラス替えはあったけれど,
どのクラスにも問題があった学年だったので
どうクラス替えをしても不安が残った。
五年生の担任を希望したのは大ベテランのN先生1人だったという。
N先生から3月に話があって
わたしはものすごく悩んだ。
わたしに立て直せるだろうか。
勉強中には紙飛行機が飛び
カッターでいろいろな人のノートが切られ
友達の机に唾を吐き
休み時間が終わっても5人くらいは
戻ってこないため毎日探さないといけない
そういう学年だった。
「なぁ,やるべ。一緒に。」
その先生は首をたてにふらないわたしの背中を押した。
「子どもがさ,かわいそうだろう。
あいつら,あのまんまでどうなるのよ。
今,どうにかしなくて,いつ誰がどうにかするのよ。
なぁ,そう思わんか。
あいつらがああなったのはさ,
はっきり言って,学校のせいだと俺は思う。
俺は責任をとって立て直そうと思うんだ。」
学校の責任。
わたしもそう思った。
学校であそこまで崩れてしまったのは
99パーセントは学校の責任だ。
毎日かわるがわる保護者がきて
「どうにかしてくれ。」と叫んでいた。
どうにかしなくてはならない。
始業式の日,五年生の担任が発表された時
わたしの名前が呼ばれると同時にどよめきが起きた。
わたしは音楽の専門で,担任など持たないと思われていたからだ。
それから一ヶ月
わたしがしたことはたった3つだ。
授業を本当にわかりやすく楽しいものにすること,
彼らのどんな小さな頑張りも見逃さず,褒め続けること,
休み時間にはずっと一緒に遊んであげること。
不登校だった女の子が来るようになって
机から足を投げ出していた男の子が
まっすぐ座るようになって
宿題をまったくやらなかった子たちが
20人ほどやってくるようになって
「うぜぇ,おめえ死ねや。」と声をあらげていた子が
「うぜぇ。」と言ったあと,「うそだっつーの。」と言うようになった。
1人1人に日記帳を配って
どんなことでもいいから書いておいでと言ったとき
男子はみんな
「うぇ,きめぇ,女と交換日記だってよ。」と言ったけれど
次の日には4冊その日記が提出されていた。
その中の1冊は男子だった。
「ぼくは野球をやっています。
ユニフォームがどろだらけになるまで練習しています。
ぼくはそれを見て自分は頑張ったんだなぁと思いました。」
今日はこれから,彼の練習試合を観に行こうと思う。
責任をもって
彼らの心のとげとげを抜いていこうと思う。
愛情をもって
彼らの心をあたためていこうと思う。
というわけで更新できなくてごめんなさい。
彼らのことで頭がいっぱいなのです。
本当に大変だった。
四年生のころによくテレビでやっているような
学級崩壊をおこしていたクラスだったからだ。
五年生になってクラス替えはあったけれど,
どのクラスにも問題があった学年だったので
どうクラス替えをしても不安が残った。
五年生の担任を希望したのは大ベテランのN先生1人だったという。
N先生から3月に話があって
わたしはものすごく悩んだ。
わたしに立て直せるだろうか。
勉強中には紙飛行機が飛び
カッターでいろいろな人のノートが切られ
友達の机に唾を吐き
休み時間が終わっても5人くらいは
戻ってこないため毎日探さないといけない
そういう学年だった。
「なぁ,やるべ。一緒に。」
その先生は首をたてにふらないわたしの背中を押した。
「子どもがさ,かわいそうだろう。
あいつら,あのまんまでどうなるのよ。
今,どうにかしなくて,いつ誰がどうにかするのよ。
なぁ,そう思わんか。
あいつらがああなったのはさ,
はっきり言って,学校のせいだと俺は思う。
俺は責任をとって立て直そうと思うんだ。」
学校の責任。
わたしもそう思った。
学校であそこまで崩れてしまったのは
99パーセントは学校の責任だ。
毎日かわるがわる保護者がきて
「どうにかしてくれ。」と叫んでいた。
どうにかしなくてはならない。
始業式の日,五年生の担任が発表された時
わたしの名前が呼ばれると同時にどよめきが起きた。
わたしは音楽の専門で,担任など持たないと思われていたからだ。
それから一ヶ月
わたしがしたことはたった3つだ。
授業を本当にわかりやすく楽しいものにすること,
彼らのどんな小さな頑張りも見逃さず,褒め続けること,
休み時間にはずっと一緒に遊んであげること。
不登校だった女の子が来るようになって
机から足を投げ出していた男の子が
まっすぐ座るようになって
宿題をまったくやらなかった子たちが
20人ほどやってくるようになって
「うぜぇ,おめえ死ねや。」と声をあらげていた子が
「うぜぇ。」と言ったあと,「うそだっつーの。」と言うようになった。
1人1人に日記帳を配って
どんなことでもいいから書いておいでと言ったとき
男子はみんな
「うぇ,きめぇ,女と交換日記だってよ。」と言ったけれど
次の日には4冊その日記が提出されていた。
その中の1冊は男子だった。
「ぼくは野球をやっています。
ユニフォームがどろだらけになるまで練習しています。
ぼくはそれを見て自分は頑張ったんだなぁと思いました。」
今日はこれから,彼の練習試合を観に行こうと思う。
責任をもって
彼らの心のとげとげを抜いていこうと思う。
愛情をもって
彼らの心をあたためていこうと思う。
というわけで更新できなくてごめんなさい。
彼らのことで頭がいっぱいなのです。


